推薦の言葉
岡山大学名誉教授,カリフォルニア大学サンフランシスコ校小児心臓外科教授 佐野 俊二
小児集中治療管理の聖書 ― メルボルン王立小児病院PICU管理マニュアル ―
私がニュージーランドにある世界的心臓施設Green Lane Hospital(GLH)での研修後,小児心臓外科の研修先に選んだのはGLHの世界的に有名なSir Brian Barratt-Boyes先生の弟子であり,新生児・小児複雑心奇形の外科治療で当時世界中を驚嘆させていたRoger Mee先生率いるメルボルンのRoyal Children’s Hospital(RCH)であった.
当時,小児心臓外科のチーフはRoger Mee,44歳の若さで無名であったRCHを世界の一流施設に押し上げていた.彼の手術は確固とした理論に裏打ちされ,無駄がなく芸術的にさえ思えた.当時世界一といわれたBoston Children’s Hospitalでさえ,新生児開心術の早期死亡率は10%前後であったが,RCHのそれは5%以下であった.
研修医の仕事は手術の助手,もう1つは術後管理であり,PICU管理はPICU医,小児循環器医と小児心臓外科医によってなされていた.働き始めた1987年6月に渡されたのは,PICUの医師,看護師がポケットに入れ持ち歩いていた小冊子であった.術後の水分管理,呼吸循環管理のノウハウ,薬用量などが年齢別,体重別に簡潔に記載されており,また大切な部分には簡単な注釈があり,ほとんど初心者に近い私にとっては聖書のようなものであった.働き始めた翌日から当直業務が始まった訳であるが,困った時の神頼みのこの冊子のお陰でPICU勤務もあまり苦にならなかった.というのもこの冊子を全員が持っており,PICU管理がマニュアル化されており,PICU管理に携わる者の意識統一がなされていたからである.
この小冊子こそが,黒澤,杉本先生の翻訳による本書である.この小冊子の著者は当時RCHのPICUの責任者Frank Shann先生であった.当時のPICUは麻酔科出身者と新生児科出身者の混合部隊で形成されており,Frank Shann先生は新生児科出身者であったように思う.新生児科出身者は栄養管理,感染管理が得意で,麻酔科出身者は呼吸循環管理が得意であり,お互いが上手くカバーしている理想的なPICUであった.働き始めてすぐに,心臓外科の素晴らしい成績はRoger Mee先生の素晴らしい手術だけでなく,PICU管理の素晴らしさによると実感した.Frank Shann先生はこの新しくできた混成チームを1つにまとめるためにPICU管理の基本的な考え方をまとめたこの冊子を作ったようである.このように強いリーダーシップを持ったFrank Shann先生であるが,毎日会うPICUでは非常に温厚で,何を聞いてもオーストラリア訛りのオージーイングリッシュで理論的に教えてくれたものである.この小冊子は彼の専門である新生児未熟児の栄養管理,感染管理だけでなく,専門でない呼吸循環管理もPICUスタッフの協力の下,科学的根拠に基づいて簡単かつ明瞭にまとめられており,世界中から訪れるほとんどすべての研修医が持ち歩き,研修が終わった後には必ず持ち帰るベストセラー書であった.この冊子は毎年新版に書き換えられ,最新のガイドライン,最新の薬の使い方などがこの小さな冊子を読むだけで理解できた.
メルボルンから帰国し,岡山大学で小児心臓外科を始めた時に一番に心配したのは,今まで小児心臓手術がほとんどなかった岡山大学で,麻酔科医・心臓外科医・小児循環器医・看護師に至るまで素人同然の施設で新生児の術後管理ができるのであろうかというものであった.小児心臓手術を始める前の研修会の時にこの小冊子に書いてある各項目を皆に説明し,小冊子を皆に配り,また1冊をPICUに置き,術後管理の意思統一を図った.当時の日本のPICU管理とは相いれない部分もあり,当初反発も多かった.暫くして麻酔科の竹内護先生(現自治医科大学麻酔科教授)がRCHの留学から帰り,麻酔科医,看護師全員に分かりやすいように,RCHのこの小冊子の主たるところを岡山大学バージョンに訳し,小児心臓麻酔,小児心臓PICUのチーフとして皆に周知徹底し,PICU管理をまとめてくれた.竹内護先生は後に,とちぎ子ども医療センターに異動する際,記念となる色紙を書いてくれた.その中には “岡山大学の成績がこんなに良いのは先生の手術が素晴らしいだけでなく,PICU管理も素晴らしく,全員が頑張っているからですよ” と書かれていた.後に岡山大学で新生児開心術の早期死亡率が2〜3%となり,世界有数の成績を上げるようになったのも,このPICU管理の充実があることは間違いない.
アメリカに行き今更ながら思うことは,RCHのPICU管理の素晴らしさである.私の働いているカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)には残念ながらPICUマニュアルはなく,スタッフはそれぞれの考えでPICU管理を行っている.各PICU医,小児循環器医は素晴らしいのだが,マニュアルがないので考え方がスタッフによって異なることも多く,看護師も混乱していることも少なくない.Frank Shann先生のような強力なリーダーがおらず,マニュアルがないため,チームとしての意思統一が薄いのである.昨年トロント大学小児病院(Hospital of SickKids)を訪問したが,Frank Shann先生の弟子であるPeter Lauson教授の下,RCHと同じような術後管理をしていた.
Frank Shann先生の弟子である黒澤,杉本先生の翻訳により,世界一のメルボルン王立小児病院のPICU管理が日本の多くの施設,PICU管理をする医療関係者に広く行き渡り,重症な子供たちが1人でも多く救われることを願ってやまない.
訳者序文
オーストラリア,メルボルンのRoyal Children’s Hospital(RCH)は南半球で最大規模の小児病院であり,その小児集中治療室(Paediatric Intensive Care Unit:PICU)では最先端の治療が行われている.そこでのPICU治療指針に関してまとめたものが『Paediatric Intensive Care Guidelines』であり,英文でポケットサイズの小冊子として販売されている.RCHでは医師,看護師はこのPICUガイドラインを常時携帯し必要な時にページを開く.このPICUガイドラインの最新版(第4版)に掲載されている内容を翻訳し,心臓手術の記載を中心に増補を行い,さらに日本の医療現場でも活用できるように注釈を加え,構成を整えて編集されたのが本書である.
欧米豪の名の通る小児病院が日本の心臓手術を行う病院と大きく違う点は,1施設あたりの症例数の違いはもちろんであるが,確立されたPICUの管理体制にある.日本の病院ではそれぞれの施設独自のPICU管理マニュアルに基づいて心臓外科医が術後管理を行うことが多い.しかしながら,本編をご覧頂くと分かるように,PICUの医師はあくまでprofessionalな職業であり,過去から築き上げられた知識と経験のもと,さらに最新の知見に裏付けられた治療が施されるべきである.もちろん心臓手術の成績は,心臓外科医のprofessionalな技術,知識,経験によるところが大きいが,同様にPICUにおけるprofessionalな管理に大きく依存する.特に非常に複雑な症例であればあるほど,PICUの管理の質が術後成績に大きな影響を及ぼす.このprofessionalismが本書を貫く根幹である.
本書の原本は改訂を重ねる毎に,本質的なものだけが残り,よりエビデンスに基づいた,さらに最新の知見を含む充実した内容になっている.本書の原本は,発行元のオーストラリアはもとより,イギリス,カナダ,アメリカなどの英語圏,ヨーロッパやアジア圏などでも医療者に広く使用されている.
オーストラリアと日本の医療事情は異なり,オーストラリアでは標準的に行われている小児人工心臓や小児心移植などの項目は,近い将来日本でもこれらの治療が広く普及することを期待し,あえてそのまま翻訳し掲載した.最新版の日本語訳をお届けすることで,日本の小児集中治療がさらにレベルアップし,多くのこどもたちとその家族が幸せになることを願ってやまない.
2018年10月 杉本 晃一
小児集中治療と一口にいっても学ぶべきことは幅広く,奥が深い.しかもエビデンスに乏しく,絶対的に正しいことはほとんどない.そんな中で最善の医療とは何か.突き詰めれば,ベッドサイドで患児を目の前にして何を根拠にどう判断するかに尽きる.そのための拠り所が本書である.
本書の原本である『Paediatric Intensive Care Guidelines』は,ベッドサイドですぐに参照できるポケットサイズで,必要な知識や管理上のポイントが簡潔にまとめられている.これはFrank Shann教授という小児集中治療界の偉人が,数多くの文献を根拠に作り上げたテキストが元となっている.第3版まではその記載の根拠となる出典が細かなところまで明示されていたが,2017年の第4版からは出典が削除され,いわばエキスパートオピニオンというべき位置付けとなった.
Frank Shann教授は私がRCHに在籍した頃はまだ現役で,非常に多くのことを教わった.彼に質問するとその答えは常に根拠に基づいており,30分後には関連する論文をいくつも手渡してくれた.その中には最新の論文から1970年代の論文まで含まれていることがあり,その知識の幅広さと記憶力の確かさに驚愕した.彼の後押しを得て本書を刊行できたことはこの上ない喜びであり,重症な小児に関わる医療関係者に一人でも多く本書をお届けしたい.
感染症に関してはオーストラリアの記載そのままでは不都合がある可能性があるため,兵庫県立こども病院感染症内科部長の笠井正志先生に加筆修正していただいた.また,エッセンスをできるだけコンパクトにまとめるために,原本は「言葉足らず」であり,RCHの臨床現場を知らないと理解困難な記述が多々ある.本書出版にあたっては,読者の理解を助けるために,青木唯さんをはじめ,テコム出版事業本部編集部の皆様には多大なご協力をいただいた.この場をお借りして改めて深くお礼を申し上げる.
2018年10月 黒澤 寛史
目次
第1章 総 論
1.1 ゴールデンルール
1.2 病棟回診時チェックリスト
1.3 MET(medical emergency team)
1.4 PETS(院外搬送)
1.5 フェロー
1.6 発熱:PICUでの治療
1.7 鎮痛と鎮静
1.8 アナフィラキシー
1.9 昏 睡
1.10 心肺蘇生
1.11 血液学
1.12 PIMスコア
1.13 治療の質の向上に向けて
1.14 PICU長期滞在患児
第2章 電解質・代謝・栄養
2.1 輸液と電解質
2.2 糖尿病性ケトアシドーシス(DKA)
2.3 代謝-高アンモニア血症
2.4 栄 養
第3章 呼吸器
3.1 酸素療法
3.2 酸素療法-ハイフローネーザルカニュラ
3.3 気管チューブ
3.4 人工呼吸
3.5 気管切開チューブ交換
3.6 気管切開チューブと針,カテーテルのサイズ
3.7 気管支肺胞洗浄
3.8 クループ
3.9 喉頭蓋炎
3.10 細気管支炎
3.11 気管支喘息
3.12 肺炎/ARDS
第4章 心 臓
4.1 心臓-術後の問題点
4.2 心臓手術後患児の入室
4.3 カテコラミンと血管拡張薬
4.4 血管内カテーテル
4.5 胸腔ドレーン
4.6 心臓-頻拍性不整脈
4.7 一時的ペーシング
4.8 心臓-病変/手術
第5章 その他の手術
5.1 側弯症術後
5.2 PICU(non-cardiac)での外科処置
第6章 移 植
6.1 移植-心臓
6.2 移植-肝臓
第7章 腎 臓
7.1 利尿治療
7.2 横紋筋融解とミオグロビン尿症
7.3 血液浄化療法
第8章 脳神経
8.1 けいれん-けいれん重積
8.2 ギラン・バレー症候群
8.3 低酸素性障害
第9章 感染症
9.1 抗菌薬-市中感染症
9.2 抗菌薬-院内発生敗血症
9.3 抗菌薬-菌種による分類
9.4 プロカルシトニン(PCT)
9.5 百日咳
9.6 敗血症:重度
9.7 髄膜炎と脳炎
9.8 髄膜炎菌敗血症
9.9 脾摘出術,あるいは無脾症
9.10 予防接種
第10章 外 因
10.1 外 傷
10.2 頭部外傷
10.3 虐 待
10.4 熱 傷
10.5 災 害
10.6 蛇咬傷
10.7 中 毒
第11章 血液腫瘍緊急症
11.1 急性白血病と白血球増多症
11.2 巨大リンパ腫(腫瘍崩壊症候群の高リスク)
第12章 患児の死
12.1 死 亡
12.2 臓器提供
12.3 組織提供
付 録 正常値
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