平成七年の秋、思ひがけない機縁に惠まれて岡潔の評傳を書く決意を新たにしたが、そのをりに眞つ先に心に立ち現れたのは、岡の晩年の交友祿を綴りたいといふ願ひであつた。
昭和三十五年十一月、滿五十九歲の岡は、長年にわたる數學研究の眞價が内外に廣く認識されるところとなり、文化勳章を受章した。この慶事を受けて、二年後の昭和三十七年春四月には、毎日新聞紙上に「春宵十話」の連載が實現した。わづかに十篇の心象風景のスケッチにすぎないが、「生活の中で數學を研究するのではなく、數學研究のまつただ中で生活する」といふ秋霜烈日の日々の印象が率直に語られたエッセイであり、讀む者の心に大きな共鳴を誘ふ力が備つてゐた。
「春宵十話」を機に、岡は數學の外の世界の人々と幅廣く交友するやうになつた。岡に着目して積極的に岡のもとに足を運ぶ人もあれば、人を介して面談を求めてくる者もあり、ジャーナリズムの企畫で對談が行はれることもあつた。思ひつくままに名前を擧げると、文藝批評の小林秀雄と保田與重郎、漢字ヘ育の石井勳、畫家の坂本繁二郎、來日して亡命の日々を送る胡蘭成、東洋思想家の安岡正篤、作家の吉川英治等々、どのひとりもただものではなく、何事かを語らなければならない人物ばかりである。また、岡と直接の面識はなくとも、将棋の金子金五郎九段や佛ヘ学の玉城康四郎のやうに、岡の発言にかねがね深い関心を寄せて見守つてゐる一群の人々もゐた。
晩年の岡は多忙であつた。エッセイの寄稿や講演の依頼も増え續け、東奔西走、旅の日々を送るやうになつた。昭和三十八年の年初に單行本の『春宵十話』(毎日新聞社)が刊行され、それから年々著作の出版が續き、多くの讀者を獲得した。
當初、岡は少々變つた言動の伴ふ「脫俗の孤高の數學者」と見られて人氣があつたが、次第に發言の姿が變化して、日本の將來を憂へる「憂國の數學者」といふ樣相が顯はれ始めた。昭和四十年代を支配した思想の風にはつきりと背馳する傾向であつた。追随した読者は多いとは言へず、著作の刊行は續いたが、讀者が離れていく傾向が見られ、昭和四十五年の『神々の花園』(講談社現代新書)が、公にされた最後の作品になつた。岡は京都產業大學でヘ養科目「日本民族」の講義を續けながら、回想録『春雨の曲』を書き續けた。初稿が成立したのは昭和四十六年。それから破棄と改稿が繰りウされ、昭和五十三年三月、實に第八稿の試みを続ける中で世を去つたのである。
晩年の岡は數學研究の「壺中の別天地」の外に出て、時代とともに人生の日々を生きながら盛に發言を重ねたが、その根柢にあるものは數學研究の日々を懷かしく回想する心である。それゆゑ、晩年の眞の姿を見ようとするのであれば、數學研究の時代、言ひ換へると『春宵十話』が成立するまでの人生の觀察と省察が不可缺である。『虹の章』に先立つて二册の評傳『星の章』『花の章』(海鳴社)を書かなければならなかつたのはこのためである。
本年は『春宵十話』が單行本の形で刊行されてからきつかり五十年目にあたる年である。『虹の章』の出版は諸事情にはばまれて大幅に遲れたが、ゆくりなく節目に遭遇したことを喜びたいと思ふ。日本近代の數學史に屹立する偉大な數學者の回想が日本の歴史の流れに明確な位置を占め、岡が敬慕した道元や芭蕉のやうに世代を越えて語り繼がれ、日本の艶_が絕えず歸り行く故郷となるやう、心から願つてゐる。
平成二十五年四月十八日
高瀬正仁
第一章 石井式漢字ヘ育─心の珠を磨く
石井先生との出會ひ
回想の石井先生/小學校ヘ員から幼稚園へ/石井式漢字ヘ育/漢字の學年配當表/漢字の字體のいろいろ/歴史的仮名遣と「現代かなづかい」
「漢字とカナ」(一)
朝日新聞の紙上論爭「漢字とカナ」/大岡昇平の石井式漢字ヘ育擁護論/倉石武四郎の漢字廢止論/石井先生の反論/國語審議會五委員脫會事件/岩村C一の漢字假名交じり文廢止論/倉石武四郎の說く「漢字の運命」/國語審議會と土岐善麿/石井先生の「聲」の欄への投稿
「漢字とカナ」(二)
福田恆存の表音主義批判/カナモジカイ理事長松坂忠則/時枝誠記と「かなづかひ」の原理/連載企畫「漢字とカナ」の終了/『朝日ジャーナル』の誌上座談會
國語國字問題(一)
岡潔と國語國字問題/人名用漢字/當用漢字字體表/岡潔と石井式漢字ヘ育
國語國字問題(二)
漢字廢止論のいろいろ/占領政策下の表音主義者たち/「現代かなづかい」の制定まで/「現代かなづかい」の諸相/國語審議會第二十九回總會での激論
國語國字問題(三)
山本有三のルビ廢止論/當用漢字ないないづくしの歌/當用漢字音訓表と當用漢字別表/當用漢字字體表(續)/保田與重郎の所論
心の珠を磨く
安岡正篤との交友/岡潔と石井先生の出會ひ
【エピローグ】國語問題協議會での講演「日本語の讀めない日本人」
第二章 駒込千駄木町の一夜─國民文化研究會
小田村寅二郎と夜久正雄の訪問を受ける
小田村事件
國民文化研究會
國文研の源流をたどる
沼波瓊音と一高瑞穗會
黒上正一郎と一高昭信會
黒上正一郎/梅木紹男との友情/黒上の遺著『聖徳太子の信仰思想と日本文化創業』
原理日本社の人々
駒込千駄木町の一夜
梅木紹男との遭遇
沖繩の島守
合宿ヘ室(一)「日本的情緒について」
日本的情緒を語る/質疑應答
合宿ヘ室(二)「歐米は闊痰ツてゐる」
西歐近代と日本/質疑應答
關正臣宮司の話
【エピローグ】小林秀雄の回想
第三章 正法眼藏─玉城先生の肖像
「とぼとぼ亭」の思ひ出
「とぼとぼ亭」の思ひ出/加藤さんの話/佛ヘを問ふ/空想の座談會
數學への關心のはじまり
素朴な疑問/回想の『銀の匙』/昭和四十三年春の上京(父とともに)
玉城先生との對話
善知識「玉城先生」/金子九段と西谷先生/岡潔先生との出會ひ/小石澤さんの話/友情の終りと始まり/生ひ立ちの記
ダンマの顕現
道元との出會ひ/數學の根柢にあるもの/數學の根柢にあるもの(續)/二心寂靜/今は亡きを悲しむ/白隠禪師/津名道代さんの話/華 厳
『正法眼藏』
『正法眼藏』との出會ひ/道元を語る/心不可得/數學的發見と坐禪箴/今日の一當と昨日の百不當
イカロスの墜落
無 明/イカロスの墜落/光明主義をめぐつて
【エピローグ】玉城先生との別れ
岡潔年譜1 誕生から昭和35年までの記録
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